今日のゆめじょ

どうしようもなく夢見るオタクの低脳ハッピーブログ

世間話ができないオタクの話

世間話ができない。

職場で休憩が被った時、案件が思ったより早く済んで上司も自分も手持ち無沙汰な時。きっと向こうは気にかけてくれているのもあるのだろう、無難な話を振ってくる。休みの日はどうしていたのか、趣味は何か、所謂世間話である。そして私はこの手の話に上手に乗り切れたことがない。

会話が続かない。

休みの日何してた?と聞かれれば無難に寝ていました、とか適当に買い物してました、と私は返すのだが、続く相手の言葉(疲れてたんですね、何買ったんですか、など)に返事(そうなんですよ〜ずっと眠くて、夏服ないので服買いました)をしてしまうと基本的にそこで会話は終了してしまう。

さらにそこから話を掘り下げてくださる優しい方もいるが、私はそんなに話を面白おかしく脚色できる人間ではないのでせいぜいあと2,3言続いてしまえば会話はゴールイン。望みも望まれもしない無駄な時間。ぼ〜っと今日の夕食とか、推しの新しい夏服とか考えていた方がよっぽど精神衛生上良いと思う。

休憩室で他部署の話が耳に入ることがある。彼彼女らの話を参考に世間話のスキルを磨こうと向上心を燃やしたが、分かったのは彼彼女らの恋愛遍歴と思ってもいなさそうな相槌の応酬で会話が成り立っているという事実だけだった。

恋愛話はすごい。大抵の人はこの話で休憩時間を乗り切っている。彼氏と旅行に行った、好きでもない人に好かれて困っている、友人の恋人が浮気をしていた、不特定多数の人間がランチタイムを過ごしている場で驚くほど赤裸々に個人情報を垂れ流しそれを楽しむ感情がすごい。というかよくその限られた話題で毎日休憩時間を過ごせるなぁと感心してしまう。揶揄ではなく本心でそう思う。

もちろん世間話は恋愛以外にも冒頭に挙げた休日の過ごし方や趣味でも成り立つ。誰にでも趣味のひとつやふたつは大抵あるだろうから、それについて話せば良いのだが、話を振られて語った終いには「そちらはどういった趣味が?」と聞くのが通常の会話の基本だろうと思う。

「人は自分が聞かれたいことを相手にまず問う」と言うが心理的な観点からもそうなのだろう。

相手に話させればこちらは相槌を打てば良いのだから世間話は楽に成り立つはずなのだ。

私にはその「聞く」姿勢がないのだと思う。

相手の心情を察知する能力がないとは思わない。どちらかというとこう言って欲しいのだろうな、とかこうすれば喜ぶのだろうな、と想像できるタイプだ。

分かっているなら行動に移せば良いのに、面倒くさがって自分から相手に問おうとする気力が起きない。だからこそ私は世間話ができないのだ。

しかしオタクの話題になると、そういったことはなくなる。相手の推しの近況やイベントの話はいくらでも聞きたくなる。先週のアニメのこのシーンが良かった、欲しかった本が最高だった、推しがかわいい、いつまでも聞けるし布教されたい。

なぜなのか。

私は「相手のプライベートに踏み込むことを考えずに話せる」からだと思う。

推しの話をしている間、私たちの会話の中心は「会話の現場に存在しない」推しだ。推しのあれやこれやを思いつくままに発言し、妄想し、楽しみを共有する。そこに人によって異なる「(精神の)パーソナルスペース」はほとんどない。

趣味嗜好の違いによるパーソナルスペースはもちろんあるが(逆cp、解釈違いなど)、どこまで踏み込んでいいか分かりかねる個人の事情には一切触れることがない。

オタクの語源は「お宅(=よく知らない相手への無難な呼びかけ方」だと言われる(諸説あり)が、これこそ相手のプライベートを知らずとも趣味嗜好が同じなだけで人は仲良くなれるというオタクの本質を指しているのではないか。

悪口や愚痴、そこにはいない第三者の話題は時として異様に盛り上がる。それは会話の中心に良い意味でも悪い意味でも気を遣う必要のない存在が置かれているからだ。

推しの話を悪口や愚痴と同列に扱うつもりは毛頭ない。結局世間話ができないのは自分がオタクであるからではなく、「気を遣うのが面倒」だという自分の究極の怠惰にある。

それでもオタクの話の方が世間話より遥かに楽しい、と感じてしまうのは相手への気遣いの不要さと、悪口などとは違うポジティブでハッピーな感情の発露ができるからだと私が思い込んでいる以上どうしようもないのだと思う。

オタク最高!そう思う自分が非オタを「悪口やつまらない恋愛話くらいしか話すことがない」と見下してはいないか、明日の休憩室で自分がどう思うのか、少し暗い気持ちになった。