今日のゆめじょ

どうしようもなく夢見るオタクの低脳ハッピーブログ

推しの一周忌(正確には二周忌)がくる

自殺した瞬間に推しにガチ恋していたと脳が認定した哀れなオタクが、初めて推しの没日を迎えようとしている。

わたしの久々のガチ恋相手の九字院偲は(恐らく)2018年7月14日に主人公の目の前で脳天撃ち抜いて自殺しました。アニメなら来週で一周忌、小説なら恐らく二周忌。

周忌があやふやなのは、原作小説にて推しが死んだのは7月14日としか明言されていないから。

小説ならば7月15日が議員選挙投票日とされているため、15日が日曜日だと仮定し逆算すれば14日が土曜になる年は直近で2018年。原作の初版が2016年だから、まあ妥当な予測だと思っている。

そういうわけで、わたしが昨年あれほどガチ恋を拗らせたアニメ版九字院偲は一周忌、原作通りの世界線での九字院偲は二周忌をもうすぐ迎えることとなるわけだ。

推しが死んだことを目の当たりにしてから半年と少し、思えば自ジャンルの数が増えたり、普通に仕事が忙しくなってきたり、だんだんと死んだ推しのことで取り憑かれたように虚無感を背負い込むことはなくなっていった。喪服を意識して黒い服を着ることはなくなったし、推しを思い出して突然泣きたくなることもなくなってきた。

立ち直りの速さには定評があると自己評価しているわたしだが、半年という決して長くはない期間であまりにスッと切り替えができたことにかえって戸惑う自分がいる。あれほど「わたしはこの人がすきだ、なんで死んでしまったんだろう…」と職場でも休憩中にボロボロ涙を零していたのに、いつの間にか別の推しの新規カードを回収したりイベントをこなすことでそういう時間がなくなった。

ただ、じゃあもう死んだ推しへのガチ恋感情が衰えたのかというとそんなことはない。死んだ推しへのクソデカ感情は今でも心の底から溢れ出てしまい、生きて幸せな今を過ごしている推しのいる世界線をせめてわたしが作り出したい…そう思って没個性夢主との自己満足ユメショ(ss集)を半年前からポツポツ書き連ね、気づけば100ページを優に超えてしまっていた。まだまだ書きたいifがあるのでオフセ本へ変貌するのはいつのことだか分からない。

わたしにとっては、これを書いている時、間違いなく推しは生きていて、幸せな時間を過ごしているのだと幻覚をキメることができるのでとんでもなく心が安らぐ。正気に戻ってイマジナリー後追い自殺をしかけるのも毎度のことなのだが。

それでもやっぱり、推しにガチ恋をしている事実がわたしの心を幾分か救ってくれていることに違いはない。

推しの没日が初めて迫る今、わたしは推しの死に対してどう向き合えば良いのかという疑問があとを絶たない。今まで通り地獄のユメショを書き加え、イマジナリー後追い自殺をし、スマホにある推しの遺影に手を合わせれば良いのだろうか、それとも喪服を着て推しの好きだったシロップまみれのパンケーキとガムシロが3つ、ミルクが6つ入ったアイスティーを口にすれば良いのだろうか。

絶対に言い切れることは、推しの死をわたしはわたしなりに乗り越え、でもまだズルズルと引きずり、時に思い出さないとわたしの心がついていかないということだ。

多分長いわたしの人生、その中の数ヶ月という期間で心にすみつくほど鮮烈な印象を残した推しのことを、わたしはきっと一生すきだと思うし、忘れない。

とりあえず来週の今日までに、あと数ページでも推しの幸せなifの世界線を増やせれば良いなと思う。ただの自己満足だけれど、推しが生きる世界がパラレルワールドにはあると思うだけで救われる。

所詮創作だけどね。

安らかに眠ってください、九字院偲。